言語聴覚士(ST)としてキャリアを築くうえで、「手話は必要?」という疑問を持つ人は少なくありません。
結論から言うと、すべての言語聴覚士にとって手話は必須ではありません。
ただし、将来的に「聴覚障害支援」を専門にしたいと考えているなら、手話はあなたの強みになるスキルです。
この記事では、言語聴覚士の手話との関わり方を詳しく解説します。
言語聴覚士に手話は必要?臨床現場から見るリアルな関係性
最初にも述べたように、すべての言語聴覚士にとって手話は必須ではありません。
言語聴覚士と手話の関わり
言語聴覚士(ST)の仕事は、一般的なイメージよりも幅広い分野に及びます。
たとえば、脳卒中後の失語症や高次脳機能障害のリハビリ、飲み込みのトレーニングを行う「嚥下(えんげ)リハビリ」、そして発達障害や言葉の遅れをサポートする小児領域などがあります。
多くのSTは、これらの成人リハビリや嚥下障害の分野でキャリアを積むケースがほとんどです。実際、回復期病棟や看取り施設などでは、手話を使う機会はほとんどありません。
そのため、ST全体で見れば手話は「必須スキルではない」というのが現場の実情です。
ただし、もしあなたが「聴覚障害児・者の支援」を専門的に目指す場合、手話は大きな武器になります。
手話ができることで、より多様なコミュニケーション支援が可能になり、専門性を高めることができます。
つまり「手話は必要か?」という問いは、単に職種としての必須スキルではなく、自分がどの専門分野に進みたいかというキャリア戦略次第になります。
言語聴覚士の「聴覚障害支援」で手話が果たす役割
言語聴覚士が聴覚障害のある人を支援する際に、手話は単に「話すための道具」ではありません。
手話は、その人が自分の思いや考えを安心して表現できる「母語」や「第一言語」になることがあります。
そのため、手話を理解することは、コミュニケーション支援だけでなく、その人の「言語の発達」や「アイデンティティ(自分らしさ)」を尊重する支援にもつながります。
ここでは、手話が持つ社会的な位置づけと、STが関わる上で押さえておくべきポイントを紹介します。
・手話は「言語」であり「文化」
手話は「特別なジェスチャー」ではなく、れっきとした言語です。
京都府の「手話言語条例」では、手話を「独自の体系を有する言語」であり、ろう者が受け継いできた文化的財産と定義しています。つまり、STが聴覚障害者を支援する際は、手話を「文化としての言語」として尊重する視点が欠かせません。
・支援の本質は「選択の自由」を保障すること
聴覚障害のある人のコミュニケーション方法は、一人ひとり異なります。
音声日本語を中心にした「口話訓練」、補聴器・人工内耳を活用した「聴覚訓練」、筆談や指文字、そして手話など、選択肢は複数存在しています。
言語聴覚士が支援に関わる際に大切なのは、「どの方法を使うか」を専門職が決めてしまうことではありません。当事者自身が、自分に合った方法を理解し、納得して選べるようにサポートすることです。
手話は、その選択肢のひとつです。手話は「声の代わりになる表現手段」というだけでなく、視覚を中心に構成されたひとつの言語です。手話を尊重することは、単にコミュニケーションを助けるだけでなく、その人が自分らしく生きるための言語的・文化的な背景を支えることにつながります。
そして、「どの方法が正しいか」ではなく、「どの方法がその人にとって自然で、日常生活に馴染むか」をともに考えることが、支援の核心となります。
こどもの発達を支える「セーフティネット」としての手話
特に聴覚障害のあるこどもにとって、手話は「言葉の発達」を支える大切な安全網になります。
人工内耳(CI)によって音を手がかりに学ぶことができる子もいますが、その効果には個人差が大きく、誰もが同じように音声だけで言語を伸ばせるわけではありません。
もし音声の習得がうまく進まなかった場合、ことばの発達が止まってしまうことは、こどもにとって大きなストレスになります。そのようなとき、視覚で理解できる言語である手話が身についていれば、こどもは「伝えたいことを伝えられる手段」を失わずにすみます。
つまり手話は、音声言語と手話のどちらを選ぶかという対立ではなく、こどもの言語発達を確実に支える「セーフティネット」として機能する支援方法なのです。
なぜすべての言語聴覚士が手話を使うわけではないのか?
「STなのに手話を使わないの?」と疑問に思うかもしれません。
支援の現場には「年齢・聴力像・家庭の方針・教育環境」など、多様な背景があります。
そのためアプローチが一つに定まらないということが、主な理由です。
理由①専門分野による業務の違い
言語聴覚士は国家資格こそ共通ですが、扱う分野は幅広く、嚥下障害・失語症・小児発達支援などに分かれています。
多くの言語聴覚士は成人リハビリや嚥下の専門に進むため、手話が必要な場面に出会う機会はほとんどありません。
このため、「手話を使わない」ことは専門性の選択であり、決して知識不足ではないのです。
理由②聴覚分野でもアプローチが多様
聴覚分野で働く言語聴覚士でも、すべてが手話中心というわけではありません。
たとえば、人工内耳(CI)のリハビリに特化した場合、言語聴覚士は音を「聞いて理解する」訓練や発話訓練を担当します。
このような領域では、手話よりも聴覚訓練の専門知識や機器の調整スキルが重視される傾向があります。
ただし重要なのは、「手話を使わない」=「手話の価値を理解しなくていい」ではないということです。
たとえ音声法中心のリハビリを行う言語聴覚士であっても、手話が果たす役割を理解し、必要に応じて手話通訳士や支援団体に繋げられる知識が求められます。
次の章では、言語聴覚士が手話を学ぶ方法を詳しく紹介します。
言語聴覚士養成課程で手話は学べる?学ぶタイミングと方法を徹底解説
結論から言うと、言語聴覚士養成課程での手話教育は基礎的な内容に限られているため、実践的なスキルを身につけるには資格取得後の自主学習が欠かせません。
ここでは、大学や専門学校での手話教育の現状から、卒業後のスキルアップ方法までを具体的に紹介します。
カリキュラム内での扱いと学校ごとの違い
多くの言語聴覚士養成課程では、手話は「必修科目」ではありません。
国家試験に必要な科目は、失語症、高次脳機能障害、言語発達障害、構音障害、摂食・嚥下障害など多岐にわたり、カリキュラム全体が非常に密度の高い構成になっています。
そのため、手話に多くの授業時間を割くのは難しいのが実情です。
ただし、学校によっては選択科目や課外講座として手話を学べるケースもあります。
手話通訳士を講師に招いた授業や、「全国手話検定」の取得を支援するプログラムを設けている大学・専門学校も存在します。
入学前の学校選びの段階で、手話教育への取り組みを比較検討することは、将来のキャリア形成において重要です。
一方で、手話通訳士を養成する専門学科では、言語構造を徹底的に学ぶ実践型カリキュラムが組まれています。「線を表す手話」「形状を示す手話」「表情による文法的強調」など、日本語とはまったく異なる言語体系を習得するのです。
このような高度な訓練を、言語聴覚士養成課程の学生が膨大な医療・リハビリ科目と並行して修得するのは現実的に困難です。
そのため、養成課程での手話学習は「手話やろう文化に触れる最初のステップ」と位置づけられ、臨床で活かせるレベルに高めるには卒業後の学びが不可欠となります。
言語聴覚士が自主的に手話を学ぶための工夫
学生生活や臨床業務で忙しい中では、闇雲に単語を覚えるよりも、段階的な学習ステップを踏むことで、より確実に習得できます。
ステップ①基礎を身につける
まずは指文字や基本的な文法(肯定・否定・疑問など)を学び、手話の構造を理解します。
ステップ②日常で使える表現を覚える
「ありがとう」「こんにちは」「自己紹介」など、すぐに実践できる表現から始めましょう。学んだ内容を日常生活で使うことで、学習効果を実感でき、モチベーションも維持しやすくなります。
ステップ③実践の場に参加する
地域の手話サークルや勉強会に参加することで、実際の会話を通じてスキルを定着させます。特に地域活動では、ろう者の方と直接交流し、文化的背景や表現の多様性を学べる貴重な機会となります。
また、教材選びも大切です。手話は「手の動き」だけでなく、「表情」や「視線」「体の向き」も文法的な意味を持つ言語です。そのため、動画付き教材やオンライン講座など”見て覚える”学習環境を活用するのが効果的です。
特に初心者の段階では、完璧な文法よりも「相手と伝わる会話」を重視し、実践的な学びを積み重ねることが大切です。
言語聴覚士が手話のスキルを高める方法
言語聴覚士になってから本格的に手話スキルを磨きたい場合、学べる場は近年大きく広がっています。目的や生活スタイルに応じて、学び方を選べるのが魅力です。主な学習スタイルは次の3つに分かれます。
①地域密着型サークル(交流・文化志向)
例:京都市手話学習会「みみずく」
地域に根ざしたサークルで、手話の学習だけでなく、ろう者との交流や社会活動への参加を通して「ろう文化」を学べます。手話を「生きた言語」として体験できる環境です。
②オンライン・コミュニティ(教育・実践志向)
例:ろう児・難聴児のオンライン学習支援「サークルオー」
言語聴覚士や手話通訳士が講師として活動し、子どもたちの学習支援を行うプラットフォームです。自分のスキルを社会貢献や副業として活かしながら、実践的に磨ける学びの場です。
3. プロフェッショナル講座(資格・専門志向)
例:オンライン手話講座「ミライロ・コネクトClub」
入門から手話通訳士試験対策まで、段階的な学習が可能なオンライン講座です。「自分のペースで確実に上達したい」「資格を取りたい」という人に向いています。ユーキャンと提携したeラーニング教材もあり、社会人の学び直しにも適しています。
目的が「地域活動」「教育実践」「資格取得」のどれにあるかを明確にすれば、自分に合った学習ルートを見つけやすくなります。
次の章では、手話スキルを持つ言語聴覚士が、どのようにキャリアを広げ、実際の現場で評価されるのかを詳しく見ていきます。
「手話ができる言語聴覚士」のキャリアの可能性
この章では、手話がどのように言語聴覚士の専門性を深め、採用・転職市場での評価を高め、さらに他職種との協働を可能にするのかを具体的に見ていきます。
聴覚分野で言語聴覚士としての専門性を深める
言語聴覚士が聴覚分野で活躍するうえで、手話スキルが最も力を発揮するのは、患者や家族との信頼関係の構築です。
リハビリテーションの現場では、特に小児の聴覚障害支援や、成人の長期的なケアにおいて、患者と家族の信頼を得られるかどうかが成果を左右します。
手話は、聴覚障害のある患者にとって「母語」または「心の拠り所」となる言語です。
その手話を理解し使える言語聴覚士に対して、患者は「この人なら自分のことをわかってくれる」という安心感を抱きます。この安心感が、リハビリの初期段階でのモチベーションを支え、家庭での訓練継続にも大きく影響します。
信頼関係は感情的な要素にとどまらず、リハビリ成果を左右する臨床的な要因でもあります。
特に小児リハビリでは、保護者が言語聴覚士を信頼できなければ家庭での練習が進まず、支援計画そのものが機能しなくなることもあります。
手話はこの信頼を生み出す「専門技術」であり、臨床を成功に導くための実践的スキルなのです。
さらに、手話を扱えることは、言語聴覚士が聴覚分野に精通している証として、医師や看護師、理学療法士など多職種からの専門的評価を高めます。
現場で「この人は聴覚の専門家だ」と認められることで、チーム内での発言力やリーダーシップも自然と強まります。
言語聴覚士の採用・転職で評価されやすくなる
手話スキルを持つ言語聴覚士は、採用・転職市場で極めて高く評価されます。理由はシンプルで、手話ができる言語聴覚士は希少だからです。
手話は国家資格取得に必要な必修スキルではないため、手話を自在に使える人材はごく一部に限られます。
そのため、聴覚リハビリの経験と手話の両方を兼ね備えた言語聴覚士は、医療機関や教育現場にとって非常に価値の高い存在です。
活躍の場も広がります。
一般病院の聴覚科・リハビリ科に加え、耳鼻咽喉科クリニック、ろう学校、難聴学級、聴覚障害者支援センター、そして手話を必須とする教育NPOなど、幅広い分野での活躍が可能になります。
これは、摂食・嚥下分野における「呼吸ケア指導士」や「栄養士資格」と同じように、専門性を補強するダブルライセンス的スキルとして機能します。
つまり「聴覚障害×言語リハビリ」という領域で、手話ができる言語聴覚士は他の専門職では代替できない希少な存在となり、採用市場で一段上の評価を得られるのです。
手話通訳士との協働で支援の幅を広げる
手話を学ぶ言語聴覚士の最終目標は、通訳者になることではありません。むしろ、手話通訳士と協働し、より質の高い支援を提供することが現実的かつ重要なキャリア戦略です。
手話通訳士は、合格率10%以下とされる国家レベルの難関資格であり、高度な言語運用能力を要する専門職です。
言語聴覚士がリハビリの専門性を維持しながらこのレベルの通訳スキルを習得するのは現実的ではありません。
そこで求められるのが、「協働のための手話理解」です。
言語聴覚士が手話の文法や文化を理解していれば、通訳士が専門用語を伝えやすいよう発話を調整したり、視覚的にわかりやすい教材を作成したりと、支援全体を最適化できます。
こうした姿勢は、チーム医療や教育支援の現場で「協働力の高い専門職」として信頼を集めます。
さ士と手話通訳士が互いの専門性を尊重し、連携して支援の質を高めることが求められます。
最後に、手話を学ぶか迷っている言語聴覚士の方に考え方のヒントをお伝えします。
言語聴覚士として手話を学ぶか迷ったときの考え方
ここまでで、言語聴覚士と手話の関係性、手話が活きる現場、学ぶ方法、そしてキャリア上の価値について幅広く見てきました。
最後に、手話を学ぶか迷っている言語聴覚士の方へ、自分のキャリアにとって「学ぶ価値があるか」を判断し、次の一歩を踏み出すための考え方と行動のポイントをお伝えします。
「必要かどうか」より「活かせるか」で判断する
まず前提として、すべての言語聴覚士にとって手話が必須ではないという事実を冷静に受け止めることが大切です。
手話の習得には時間・労力・継続的な努力が必要です。だからこそ、「必要だから学ぶ」ではなく、「自分のキャリアで活かせるか」で判断する視点が重要になります。
言語聴覚士の専門分野は非常に広く、どの領域に進むかで手話学習の「投資対効果」が大きく変わります。
たとえば、ろう学校や聴覚障害児支援の分野に進む場合、手話はキャリアを決定づける「必須スキル」です。
一方、嚥下障害や高齢者リハビリなど、成人領域で働く場合には手話を活用する場面は限られ、優先順位は相対的に下がります。
自分の進みたい方向を見据え、「手話を学ぶことでどのような強みが得られるか」を考えることが、最も合理的な判断方法になります。
目指す言語聴覚士の分野から学習の優先度を決める
手話を学ぶべきかを決めるには、まず自分がどんな言語聴覚士を目指すのかを明確にすることが必要です。
キャリアプランの中で、手話も「嚥下」や「発達支援」と同じく、専門スキルのひとつとして位置づけましょう。
手話学習の優先度を分野ごとに整理すると、次のようになります。
優先度【高】
- ろう学校・難聴学級
- 聴覚障害者支援施設
- ろう児のオンライン教育
- 手話通訳士を目指す場合
優先度【中】
- 小児領域全般(発達支援)
- 人工内耳(CI)リハビリテーション
優先度【低】
- 成人の嚥下障害(高齢者施設・看取り支援)
- 失語症・高次脳機能障害リハビリ
このように、自分のキャリア分野と照らし合わせて学習の優先度を設定することで、効率的かつ戦略的なスキル習得が可能になります。
気になったら「小さく始めてみる」
多くの人が「高度な手話文法を覚えられるだろうか」「自分は本当にこの分野に進むのか」と迷い、最初の一歩を踏み出せずにいます。
「学ぶべきか迷っている」段階では、完璧を目指さず、小さく始めることが成功の鍵です。
たとえば、動画教材で「ありがとう」や「こんにちは」といった挨拶を真似てみるだけでも立派なスタートです。
地域の手話サークルを見学したり、オンライン講座の無料体験に一度だけ参加したりするのも良いでしょう。
実際筆者が何か新しいことを学ぶとき、まずは書店で専門書を購入し、概要を理解することから始めます。気軽に、マイペースに進めることができますし、そこで「私には合わないな」と思えたらそれでも良いのです。
この「最初の一歩」の目的は、スキルを完璧に身につけることではなく、「自分は本当にこの分野に興味があるのか」を確かめることです。
学ぶ中で手話やろう文化に自然と関心が深まるようなら、それはあなたにとって本格的に学び始めるサインです。
キャリアの方向性を見極め、まずは小さな行動から一歩を踏み出すこと。それが、言語聴覚士としての新しいキャリアを築くための最初のステップになります。

